なりたい私になろう
例えば、
誰かの何気ない心遣いや優しさに触れて
心地よさを感じたとき、
“ 私もこうありたいなぁ・・ ”と
“ こんな人になりたい ”
という気持ちを感じたことってありませんか?
この“ 人 ”の部分に、私の場合ですと
“ 女性 ”や“ 母 ”という言葉をあてはめて
◆こんな女性になりたい
◆こんな母でありたい
と表現すると、私はなんだか窮屈に感じるんですね。
たしかに社会的属性は女性あり母であるのですが
・・どうも、ピンと来ないんです。
それはなぜかと考えてみると、
私が私らしくあれば、
私らしい女性であり、 私らしい母ですよね。
女性らしい私や、母親らしい私ではありません。
同じような表現も、言い方次第でこんなに変わります。
あるがまま、そのままの私。
それが大事ですよね。
女性や母は私の“ 一部分 ”でしかないので、
それらを使うと、選択肢を限定されたように、
自由を奪われたように感じるんでしょうね。
なので私はやはり、
こんな“ 人 ”になりたい
・・がしっくりきます。
一見同じような表現も、繊細に扱うことで
価値観や思考の変化に役立つこともあるんだな、
と思うことのひとつです。
そしてここからが本題なのですが、
その私がなりたい“ こんな人 ”というのは、
自分が生まれたとき、すでに持っていた可能性、
生きる力、資質、その原点に戻ることだと思います。
生きてきた中で奪われたり傷ついたりのさまざまな
経験で幾重にもくるまれ、覆いかぶされたものを
丁寧に少しずつ取り除いたとき、
その中心にしっかりと存在している
“ 自分自身 ”なんだと思います。
“ なりたい私になる ”ことは
“ 私に戻る ”ことかもしれませんね。
誰もが生まれながらに持っている、
素晴らしい生きる力を取り戻すこと、
安心・自信・自由を取り戻すことが
本来の、なりたい私になるということ。
外部から探してきて身に付けるのではなく、
自分自身の中にすでにあるもの。
それに気づいて育んでいく。
そういうことなんだな、と思います。